
自分のことが好きになれない
何よりも 自分自身を信頼してあげること。 自分自身の身になってみること。 自分自身に 冷たく当たれば当たるほど 自分から離れてしまい コントロール不能になってしまいます。 自分自身に 教えてあげられるのは自分しかいない。 認めてあげて 自分自身との信頼関係を気付いていく。
何よりも 自分自身を信頼してあげること。 自分自身の身になってみること。 自分自身に 冷たく当たれば当たるほど 自分から離れてしまい コントロール不能になってしまいます。 自分自身に 教えてあげられるのは自分しかいない。 認めてあげて 自分自身との信頼関係を気付いていく。
それにしても 優秀な人達って ろくなこと考えないですよね。 出来てしまうがゆえに 自分がやってあげるしかないと 思い込んでしまっている。 でも いつも実際は その予想をはるかに超えていくんですけどね。 優秀であればあるほど 自らの愚かさを知ることになる というか 尊さを知ることになる。
物事にはバランスが大切です。 出来るからと そればばかりやっていたのでは 無理がかかり バランスが悪くなる。 バランスが悪くなると バランスを保つために調整が起きる。 まあ ある意味 好きなことを一生懸命やっていれば 自然と調整が起こるってことなんですけど 得てして 調整が起きている時は 心地良くない経験をしている場合があります。
人の人生も 生き方も 一見 似たような 何の変哲もないように見えますが 実は 単なる人の形、魂のコピーではないんですよね。 神様は 常に多くのアイデアと引き出しを持っているので それを 人の人生としてどう展開していくかは 極めて広い可能性があるわけです^^
冬山で吹雪の中 尾根を歩き続けているイメージ。 先端を走っているというか 矢面に立たされているというか 孤立無援というか。 吹雪によって目標は見えず 足下には進むべき道だけが示され...
あれや これや やっているから 逆に シンプルに的を狙うことができるのかもしれませんね。 それを あれや これやに いちいち気を配ってしまったら それは パニックになってしまいますよね。 馬上での騒がしさの中 心の中は静寂に ただ的だけに集中する。
愛は 強烈で眩しいものだと思っていたんですけど 本当は 見逃してしまうほどに 微かに そこにあるものだって。 例えば 空気のように いつも そこにあるけれど あることを 意識することはほとんどない。
一回やっただけでは なかなか性格は 変えられないということなんでしょうね。 なかなか変われない自分に やっぱり自分はダメなのかなと 思ってしまいがちですけど 自分を変えていくことは 生半可なことではないけれど でも ちゃんと変えていけるんだ ということなんだと思います。
人生も 同じですよね。 色々なことを学び 経験してきたけれど 傷つくのが怖くて 大切にし過ぎて 行動できないとき 人生を十分に生きていると言えません。 行動できないのは 能力の問題ではないんですね。 覚悟の問題なんです。