全ての現象は、物理的現実世界の中で起きているように見える

スピリチュアルだけでは
変われない。

そう思っている方って
沢山いるのではないでしょうか。

確かに
そう思うのも
無理はないと思うんですね。

事実
この目の前の現実を見たら
そうとしか
思いようがないと思います。

スピリチュアルで
言いたいことは分かるけど
我々は
現実を生きているのだと。

この現実を
変えない限り
スピリチュアルもなにもない。

この現実が全て。

この現実が変わらないことが
生きる苦しみの全てなんだと。

では何故
スピリチュアルだけでは
変わらないのか。

目の前の現実は
ある意味
変えなくてはならないものではなく
きっかけでしかないからです。

起きている事象
そのものだけではなく

その奥に隠された
原因や理由が大切だからです。

そこを
外してしまっては
その現象が無くなったとしても
また別の形で現れるかもしれません。

目の前の現実。

それは一体
何を意味しているのか。

そして
自分は一体
何を望み選択するのか。

本質を理解することが
スピリチュアルである
とも言えます。

この現実世界自体
スピリチュアルなものです。

しかし
制約のある
スピリチュアルな世界なんですね。

もし
何か苦しみの中にいるとしたら

苦しみという
制約の中にのみ存在しています。

制約された世界を選択している
ということなんですね。

もちろん
スピリチュアルを
まったく信じないという
スピリチュアルな生き方だって出来ます。

そんな時には
物理的な制約に対応した
やり方が必要になります。

そして
当面の課題がクリアされて
落ち着きを取り戻した時

あれは
一体何だったのだろうと
と何かを感じるのだと思います。

あるいは
そこに
何らかの意味を
見い出せるのかもしれません。

もちろん
何かを感じなくてはならない
わけでもありません。

スピリチュアルに
対応したつもりがなくても

無意識的に
スピリチュアルに
対応出来てしまうこともあります。

確かに
何か
奇跡的なことでも起きない限り

現実的に
何か変化がもたらされない限り

スピリチュアルなど
信じようもないですよね。

人は
それぞれに
信じているレベルがあります。

認識が
物理的現実世界に
とどまっている場合

全ての現象は
物理的現実世界の中で
起きているように見えます。

しかし
その現象の根源的な出所を
突き止めたいのなら

スピリチュアルな領域にまで
視野を広げてみなければ

真実を
理解することは出来ないんですね。

人は
無意識に
生きているかのように見えるけれど

本質的にはちゃんと
真実を生きるために
スピリチュアル的に意図して
選択しているんですよね。

そのことに気づくこと

本当は
それだけで良いのかもしれません。

ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。

是非読んだ感想をお問い合わせにてお送りください。


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