「小野田寛郎の終わらない戦い」
を読みました。
小野田さんは戦時中
十代で
中国で貿易関係の仕事をしていて
結構いい給料をもらって
車を乗り回したり
社交場のような場所へ毎晩のように
出かけていたそうです。
その後
徴兵されるわけですが
中国語が出来るということで
特殊な学校で
スパイやゲリラの教育を
受けたそうなんですね。
その教育が
当時の教育とは真逆で
どんなことをしても生き残り
一人でも戦い続けるための
教育だったそうなんですね。
国家機密など
あらゆる情報を与えられて
戦場へ向かったそうです。
日本が原爆を開発していること
テレビなどの最先端技術
もうすぐ本土決戦になるだろうことなど
でも
最後は
日本は勝つだろうということ
戦闘を継続させるため
常に自分で
状況判断出来るようにするための
教育だったんですね。
小野田さんは
他の兵士に比べて
戦局の全体像を把握して
戦場に向かったんですね。
ある意味
特殊能力を持っていたわけです。
そのために
ある程度の状況まで
自分で把握出来てしまうので
任務を遂行し続けることが
出来たんですね。
他の兵士たちは諦めて
自ら進んで
投降したにもかかわらずです。
日本は負けるはずはない
最後に必ず勝つという
絶対的なものがあって
こだわったんですね。
もちろん
それは仕方がないことです。
当時は
個人に選択の自由は
そもそも
許されない状況だったわけですからね。
その中で
他の人より
遂行する能力を
与えられてしまったわけで
でもそれはあくまでも
戦争という枠の中での話で
戦争を超える範囲で考えることは
許されなかったわけです。
一方
私たちも
自由な世界で
あらゆる情報に囲まれた生活を
送っていますが
あくまでも
この現実世界という
枠の中での話なんですね。
どんなに
特殊な能力を持っていたとしても
この現実世界の枠に
留まってしまっていたら
逆に特殊能力があるゆえに
より良く生きる妨げに
なってしまうかもしれません。
この現実世界を
上手く生きられてしまえばしまうほど
本当の自分から
遠ざかってしまうのかもしれません。
自分を変えるチャンスを
逃してしまうのかもしれません。
小野田さんは
戦争という枠の中で
命がけで生き抜きました。
でも
もし戦争という枠を超えて
考えることが出来ていたとしたら
30年という時間は
どう変わっていただろうと思います。
私たちは
この現実世界を
生きているわけですけど
この現実世界を
超えた世界があるかもしれないと
どこかで気づいていますよね。
小野田さんも
ビラが撒かれたり
捜索隊が来たり
それなりに
帰国するチャンスもあったんですね。
そうやって
気づきのチャンスは
私たちにも訪れているわけです。
それを
いつまでも見ないふりを続けるのか。
この世界を生きるために
必ずしも
この世界を超えた世界を
知る必要はありません。
小野田さんだって
戦争を続けるのであれば
もう十分なスキルがあったわけですからね。
でも
小野田さん本人も
周りの人間も
戦争は終わりにしなくてはならないと
思ったわけなんですよね。
私たちも薄々
今の生き方の限界を感じ始めていて
難題という形で
新しい生き方を
求められているんですよね。
小野田さんは
上官から命令を受け取り
戦争を終わらせます。
そしてやっと
戦争を超えた視点で見ることを許され
日本に帰ってきます。
その後
日本には馴染めず
ブラジルで牧場経営するところが
また小野田さんの凄いところですけど
それもまた
ジャングルでの30年の経験が
あったからこそでもあるのが
興味深いです。
それだって
戦争という枠を超えた視点で
考えることが出来たからなんですよね。
今までの生き方を
とらえ直すことによって
より生き方が広がったんですよね。
過去は
何も無駄になっていないわけで
私たちも
この世界を超えた視点を持てたら
いままでの経験も
意識的に生かすことが出来
さらに拡大した人生を
歩むことが出来るのではないでしょうか。
その人生はきっと
想像を超えたものになると思います。
ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。
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