「虎穴に入らずんば虎子を得ず」
よく目にすることわざです。
さ〜て、
どんな風に読み解きましょうかね。
大辞林によると、
「危険を冒さなければ望むものは得られないことのたとえ」
だそうです。
たとえ危険が待っていたとしても、
あえて挑んでいくことによって望みを叶える。
でも、
望みなんて叶うかどうか分からないんだから、
そんなはっきりしていないことに、
危険と分かっていて飛び込みたくはないですよね。
でも本当は
そこには成功しかないとしたら。
リスクがある、
それは単なる幻想だとしたら。
そもそも何故、
虎穴に入ろうとしているんでしょうね。
その虎穴に
何の興味もなければ、
入ろうとはしませんよね。
ことわざが出来た時代は、
もしかしたら
生きていくために、
虎穴に入らざるを得ない状況だったかもしれません。
しかし今は、
別に入らなくても
済む場合が多いのではないでしょうか。
それでもなおかつ、
虎穴に入ろうとするのは何故か。
ん〜、
魅力的に見えるからなんでしょうね。
虎穴という、
一見リスクに見える状況を、
普通は避けようとしますよね。
しかしそこに
入っていくことができたら、
他の人たちが見ることができない世界を
見ることができるかもしれない。
ある人達にとっては、
優越感に浸れるのかもしれませんね。
しかし、
虎子を得ることが、
まるで目的のようになってしまっていますけど、
それは本当なのでしょうか。
もしかしたら、
虎穴に入ることそのものが
虎子を得ることなんじゃないだろうかと思うのです。
虎子を得ようとあくせくしてたら、
虎子を得る必要がなかったことを知ってしまう、
みたいに。
虎子を得るか得ないかは問題ではなく、
虎子を得ても虎子を得なくても、
虎穴に入った時点で、既に虎子は得ている。
この世界で生きているってことは、
虎穴に入っていることだと思うんですね。
何が起こるか分からない
このリスキーに見えるこの世界で、
いつ終わりを迎えるかも分からないわけですからね。
だから
既にあなたは、虎子を得ている。
もちろん
そうは思えていない人が多いだろうし、
僕自身、
そう思い切れているわけじゃないです。
生きてるだけで丸儲け、
みたいに言われることがありますよね。
確かにそうであるとも思うし、
でも、
虎穴に入ることが虎子を得ることであるのなら、
この世界で
「生きただけ」で丸儲け、
なのかもしれませんよね。
こんなまとめ方で、
何かの役に立てたでしょうか^^
まあ、
穴があったら
とりあえず覗いてみるべきなのかも。
ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。
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