意識的にも無意識的にも、意図した世界がここにはある

究極は愛

愛の性質は
変化すること。

何か
かっちりと決まった
絶対的な何かがあると思っていました。

ある一つの真実があり
そこから
全てが紡ぎだされるのだと。

無意識に
生きるということは
無意識に
この世界を生みだすということ。

自分で生み出しているのに
自分の意識とは関係ないことが
目の前で繰り広げられ
翻弄されてしまう。

だからこそ
出来る限り意識化して
世界を生み出した方が
ある意味
楽に生きられるはず。

少なくとも
自分がこの世界を
作り出していることを認識すれば

今何を
しなければならないのか
自ずと分かってくるはず。

真実を追求するとは
今自分が感じているものを認め

今自分が
持っているものを全て使って
総力戦でいくってことなんですね。

これがいいんだと
何かに偏り過ぎず
自分が持っているものを全部使う。

そうすることによって
今の自分の限界も知ることができるわけで

あとは
そこから始めればいいんですよね。

最初に
意図がなければ何も始まらない。

僕達は
けっして
この世界の犠牲者ではない。

意識的にも
無意識的にも
意図した世界がここにはある。

そこで
犠牲者として生きることは

それこそ
権利を放棄することになる。

そして
本質的な自分が
犠牲者でいることを良しとしないのなら
それ相応の体験が待ち構えている。

まあ
結局
真実を追求せざるを得なくなる
みたいな。

だから人は
真実を求めて
スピリチュアルな世界に
足を踏み入れるのかもしれない。

決して
この世界の観念だけでは
満足などできないのだから。

ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。

是非読んだ感想をお問い合わせにてお送りください。


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