良く使われる言葉ですよね。
ぶれずに
この世界をしっかりと生きる
現実をしっかり見る
といった感じなのでしょうか。
逆に
地に足がついていない状態とは
フワフワとしていて
何に対しても及び腰で
一貫してない
やばい
僕のことだ^^
スピリチュアルな世界に
足を踏み入れると
余計に
そう見られるんだろうなぁと思います。
でもそれは
仕方がないことでもあるんですよね。
誰にとっても
未知の世界に
入っていくわけですから。
どんどん
自分も変わっていきます。
それを周りから見たら
地に足がついていないように
見えたとしても
無理もないのかもしれません。
既存の価値観では満足できず
かといって
何をしたらいいのかも分からない
どこへ向かえばいいのかも分からない。
とりあえず
マスターの言うことに
高揚感を覚えて
自分も
同じようなことを言ってみる。
でも
後から冷静になって考えてみると
そんな自分が
恥ずかしくなってしまったりして
また違う
マスターなり何なりを
探してしまう。
確かに
あっちをふらふら
こっちをふらふらって感じで
落ち着かないですよね。
でも
自分なりには
一歩一歩
前進しているつもりなんですよね。
自分にとっての
真実は
自分で見つけるしかなくて
それは誰も
教えてくれようがないことだし
自分で
色々試しながら
迷いながら
やっていくしかないからです。
既存の価値観があって
既存のやり方があって
それを
誰の目に対しても
忠実に実行しているように
見せることが
地に足がついていると言うのなら
そんなことに興味はないね
と言いたいです。
まあ
ちょっとビクビクしてますけど。
今までのやり方をして
この世界があって
それで
本当に満足ですかって。
今
ようやく分かりかけてきたことは
結局
自分にとっての真実は
自分の中にしかないということ。
地に足をつけるとは
本当の自分と繋がるということ。
自分がこの世界を
創造しているとしたら
自分の中にしか
真実は存在しないということ。
自分が変われば
世界も変わる
自分以外の場所に
足場を置いていたら
足場そのものが
消えてしまうかもしれません。
その方が
ある意味
危険ですよね。
まあすぐに
足場を創造すればいいんですけど。
確固とした
固定された
誰にとっても価値ある
土台があると信じて
無意識に創造するとしたら
それは
何とか
後始末に生きがいを
見出そうとするような
人生になるのかもしれません。
だとしたら
自分の中に足場を見つけて
その場所から
軽やかに創造した方が
体験は
ワクワクしたものに
なるのではないでしょうか。
地に足をつけるとは
本当の自分という場所から
人生を創造して
楽しむことなのだと思います。
ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。
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