本質は行間によって表現される

即興的に生きるの続き
ということでもないんですが・・・

「美の巨人たち」を見ていると
絵画は画家のダイイングメッセージだ
という言葉をよく耳にします。

中世ヨーロッパでは
まだ自由に
発言が出来なかったのかもしれません。

画家たちは
絵画に
自分のメッセージを込めて描いていました。

そこに
表現されるものは「本質」

僕は
絵画とは
目の前の現実を
写しとるものだと思っていました。

だから
写真が登場して
絵画はその役目を終え

映画が登場し
写真もまたその役目を終え

と思っていたんですね。

絵画から
映画へ進化してきたのだと思っていました。

より正確に
より精密に
より豊かに

しかし
それはむしろ
分離への道だったのかもしれません。

一つひとつ
要素を分解し組み合わるように。

もちろん
写真や映画を
否定したいわけではありません。

それぞれの表現には
それぞれに意味がありますからね。

ただ
絵画のシンプルな奥深さに
関心させられたわけです。

写真も
同じ画像ですが
あくまでも一瞬を切り取ったものです。

切り取り方にメッセージがありますよね。

絵画も
同じように
一瞬を切り取っているのかと思いきや

一場面であり
物語が表現されているんですね。

いかに目の前の現実を写しとるかではなく
いかに本質を写しとるか。

そこが
スピリチュアルで言われている

過去も未来もなく
この瞬間に全てが存在している

に通じる感じがするんですよね。

一枚の絵画の中に
時間も空間も超えて
比喩的に全てが表現されている。

それを
一つひとつ
読み取ることは骨が折れます。

だから
それは
分析したい人達に任せて

僕達は
ただそこから何かを感じ取ればいい。

だって
そこには本質が描かれているのですから。

本質とは
言葉では表現することはできません。

というか
行間によって表現される
と言ったほうが良いかもしれません。

そして
その行間を
より分かりやすくしたのが
絵画だといえるのかもしれませんね。

これでやっと
昨日ブログに繋がったかな^^

ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。

是非読んだ感想をお問い合わせにてお送りください。


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