観念とは自動現実発生装置

世の中には
自動なんちゃらって
便利なものがありますよね。

自動ブレーキ
自動調理器
自動洗濯機
などなど

しかし
完璧に自動的なものは
存在しません。

完全にお任せ
とはならないんですよね。

こちら側の
手直しというか
調整が必要になってきます。

こちらが
そのモノに合わせなくはなりません。

そこが
逆に使いづらいなと
思ってしまうことがあります。

手間は省いてくれるが
別の手間がかかる。

自動なんちゃらとは
観念であり
世界観なんですね。

作者の思いか
人々の最大公約数的な思いか
平均的思いか

いずれにせよ
意図されたものがあります。

それが
気にならないのなら
全然良いのですが

こちらにも
こだわりがあると

どうにも
納得出来なくなるんですよね。

全然
自動じゃないじゃないと。

手間な部分は
むしろ
自分でやるから
こちらの邪魔をしないでくれと^^

なんて思っても
仕方がないので
結局
あちらの世界観に合わせつつ
無理やり
マニュアル的に使ってみたりしています。

選ぶときには
しっかり
その世界観を吟味して
選ばなくてはいけないですよね。

実はこれ
観念にも言えることなんですね。

観念は
自分の思いから
この世界を
発生させる装置みたいなものです。

目の前の現実を
作りだす装置です。

自分が
どんな人間であるか
100%分かっていれば

目の前で
何が起こっているか
その本質が分かります。

通常
人は人生を
ある程度自動運転している
状態なんですね。

自動で
生み出されていく人生を
なんとかマニュアル的に生きている。

しかし
どうにも上手く
生きられている感じが
しない場合があります。

どんなに
端から見たら
恵まれた人生であってもです。

本質的な自分が
望まない人生だとしたら
それは当たり前ですよね。

手直しや
小手先で
なんとかなれば良いですけど
根本的な所から
変えなくてはならない時もあります。

観念を
選びなおさなくては
ならない時があるんですね。

そのためには

自分は
どんな観念を選択していて
これから
どんな観念を選択したいのかを
認識しなくてはなりません。

自分が
何を望んでいるかを知り
選び直していくんですね。

物選びに
失敗や成功があるように

ある意味
観念選びにも
失敗や成功があります。

それを
何度も繰り返し
自分の好みに合った観念を
選択していくのかなと思います。

なんですけど
今の観念にも
思い掛けないものが
隠されていたりして

それはそれで
観念というものの
奥深さを感じます。

実は
選んだ観念は
それほど
間違いじゃなかったのかと^^

観念の
不具合と思えるような部分は

愛嬌であったり
やる気を生み出してくれたり
責任感を育ててくれたり
様々なことを気づかせてくれたり
するものなのかなと。

ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。

是非読んだ感想をお問い合わせにてお送りください。


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