大切な思いを届けるための大切な器

NHK大河ドラマ
「八重の桜」が始まりましたね。

最近なんだか、
時代劇にはまっています。

中でも幕末ものは好きですね。

新春ワイド時代劇の
「白虎隊」も見てしまいました。

白虎隊の
というよりは、
西郷頼母のドラマでしたけどね。

時期的に、
忠臣蔵関係の映画やドラマも良く見ました。

「薄桜記」なんかはそうですよね。

時代劇を見ていると
現代ではもう
ほとんど使われなくなってしまった言葉が
出てきますよね。

その中でも、
印象に残ったのが
「さにあらず(然にあらず)」
という言葉です。

そうではない
という意味で、
相手の言ったことを
否定する言葉なんですが、
言った瞬間、
なんだか空気が引き締まる感じがするんですよね。

相手を否定して
責め立てるために言うのではなく、
真実は別のところにあるんだと
指し示すような感じがするんですね。

あらぬ方向へ
向かおうとしていた話の軸を
しっかり元に戻すような。

そうではない、
と言ってしまったら、
言われた相手は、
否定されたと感じますよね。

言ったことに対して
判断を下されるわけですから。

しかし、
「さにあらず」
と言われると、
本来あるべき姿へ向かうために
ニュートラルに戻されるような感じがするんです。

まあ、
聞き慣れていない言葉なので、
新鮮に感じるためかもしれませんが。

それにしても
どうして現代では、
そういった言葉たちが
使われなくなっちゃったんですかね。

じつにもったいない気がします。

その他にも
美しい言葉たちが存在していたのに。

その言葉の一つひとつに
エネルギーが込められていて、
大切なものを
扱っているような感じがするんですよね。

大切な思いを届けるための、
大切な器であるような。

だけど
現代ではそういう感覚が
失われつつあるような気がします。

言葉そのものの重みが
軽くなっているような、
そんな気がするんですね。

しかし、
意識上では軽くなったとしても、
無意識上では
今も変わらず
言葉の影響を受け続けているんですね。

誰かに言われた
ちょっとした言葉に、
囚われてしまうことってありますよね。

言葉そのものには重みを感じないのに、
乗せられた思いは
意外なほど大きかったり、
意外なほど大きく感じてしまったり。

思いと言葉のバランスが
崩れているんですね。

まあいずれ、
無意識上でも、
言葉のエネルギーは
弱まっていくのだと思います。

直接ダイレクトに
思いをやり取りするときが来るのでしょうから。

でも今はまだ、
言葉に頼らなくてはならない。

大切に
扱っていかなくはならないんですね。

あなたの大切な思いを
明確に伝えてくれるのは
今はまだ言葉だけです。

だとしたら、
もっとその器としての言葉に
意識的になって選んでみるべきなのかもしれません。

ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。

是非読んだ感想をお問い合わせにてお送りください。


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