自分が求めるものを知るためには

昨日の
続きみたいになってしまいますが、

実は、
何年か前にも、
少しだけ新興宗教に
通っていたことがありました。

まあ、
いろいろとありまして、
心が弱っていたんですね。

何か頼れるものが
欲しかったんだと思います。

その教団では、
何でも教祖にお伺いを立てて、
決めていました。

どの家を買うか、
どの車を買うか、
さらに、
どんな時計を買うかまで、
お伺いを立てていました。

なんと、
結婚相手も、
選んでもらっているようでした。

僕も、
会社を辞めてもよいか、
お伺いを立ててみました。

すると、
資格でも取って、
頑張って続けなさいと、
言われてしまいました。

それって普通じゃん、
と思いながら、
深々と頭を下げました。

確かに正論でしょうけど、
自分にとっては、
その時はあらゆる意味で、
限界にきていたんですけどね。

またそこでは、
信者同士がグループになって、
座談会を良く行なっていました。

ある時、
座談会をやっていると、
某国立大学の准教授が加わってきました。

准教授は、
決め台詞のように、
「大事なことであればあるほど、
お伺いを立てなさい」
と言われました。

他の方たちは、
本当にそうですよね、
みたいに熱心に頷いていました。

僕は、
この瞬間、
「こりゃ無理だ」と思いました。

こんなに情けない自分だけど、
唯一の信条が、
「大事なことであればあるほど、自分で決める」
だったからです。

大事なことであればあるほど、
他人に預けて、
他人のせいにしたくなかったんです。

それまでの
もやもやした気持ちが、
その一言で、パッと晴れました。

ここは、
自分が求めたところじゃないんだと。

言われた通りにしないと、
罰が当たるじゃないかと
恐れてしまいますけど、
そんなことよりも、
自分らしく生きられないことほうが、
よっぽど罰みたいなものです。

でも、
その教団に通うことで、
自分の本質に出会えたのですから、
それはそれで感謝ですね。

あなたがたとえ今、
どんな場所にいても、
そこから、
自分の人生に活かせるものはあります。

環境そのものは、
とても認められないような時にでもです。

人は、
きっと何かしら
必ず学んでいるんですよね。

学んだら、
感謝して、
手放して、
自分の道を歩いていきましょ。

ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。

是非読んだ感想をお問い合わせにてお送りください。


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