先日
テレビを見ていたら
美味しいそうな餃子屋さんが
出てきました。
本当に
美味しいそうでだったのですが
そのお店に来ていた中年の女性が
最近の人は味が分からないと言っていて
ちょっと
心のなかで
ひっかかりを覚えました。
最近の人の中には
味が分からない人が増えている
確かにそうかもしれません。
しかし
そうでない人も沢山いると思います。
確かめたことはないですけど^^
むしろ
この女性の方が
本当に味が分かっているのか
怪しい気がしなくもありません。
ただ
周りの人が美味しいというから
自分も美味しいと
思い込んでいるだけかもしれないからです。
本人は
本当に美味しいと
思っているのは分かります。
しかし
味覚なんてものは曖昧なものですからね
絶対的な
美味しさなんて
この世には存在しません。
あまりに確信的な言葉って
かなり思い込みが入っている感じがします。
物事は
真実に近づけば近づくほど
曖昧になるというか
両極端になるというか
可能性が広がるような気がするからです。
良く知れば知るほど
自分の無知さを実感することってありますよね。
それは
繋がれば繋がるほど
「無限」とか
「永遠」に
繋がっていることが
分かるからだと思います。
まあ
それがアカシックレコードなのか
何なのか^^
だから
物事を知るということは
本当は
無限の可能性に
繋がるってことなんだろうなって思います。
なので
もし
限定的な言葉が出きてきたとしたら
自分から
その繋がりを断つことになってしまうんですよね。
ただ
自分にとってどう感じるかは
自分にしか分からないのですから
自分で決めていいわけです。
というか
自分の範囲の中に留めておく。
「自分」として無限に
繋がらなくては意味がないからです。
自分の立ち位置をしっかりすることによって
自分以外の可能性を
自ずと感じられるのではないでしょうか。
ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。
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