衆議院選挙、
自民党が圧勝でしたね。
なんとなく
将来への恐れや不安から、
更なる変化を選択するより、
ちょっと
立ち止まってしまった、
という感じがしなくもないんですが。
でも、
世界は動き続けますからね。
先週、
載せようと思っていてブログです^^;
またまた、
「薄桜記」の話題です。
丹下典膳、凄すぎます(笑)
吉良家では、
浅野方からの仇討ちに備えて、
屋敷の増築や、
警備の強化を計画するんですね。
家臣たちは、
典膳にも意見を聞きます。
すると典膳は言います。
「吉良家のご当主は
どなたでございましょうか」
既に隠居の身である上野介が
亡くなっても吉良家は残りますが、
当主の義周が討たれては、
お家断絶になってしまうんですね。
家臣たちは、
上野介を
守ることばかりに気を取られ、
最も大事なことを
忘れてしまっていたのです。
それは、
上野介自身も同じでした。
斬られたのは自分なのに、
さらに仇討ちされてしまったら、
まったくの犬死じゃないかと。
でも、
典膳の言葉を聞いて、
目が覚めるんですよね。
自分の命が
とられるかとられないかではなく、
もっとも大事なのは、
吉良家を守ることなのだと。
そのためなら、
決して犬死ではないんだと。
理不尽な死ではあっても、
そこにはちゃんとした
意味があることを知ったわけです。
やっと自分の死ぬ意味を
見つけられたんですね。
逆に典膳も
上野介から「死に方」を問われます。
典膳は
浪人の身なので、
考えているところだと答えます。
家名でもない、
主君でもない、
では一体、何に命を懸けるのか。
それ以外には
考えられない時代に、
武士である以上、
「死に方」を選ばなくてならない。
形は分からなくても、
守りたいと思うものだけは
心にちゃんと秘めている。
武士であることと、
大切に思うこととの
折り合いをどう着けるのか。
今、
僕達はみな、
ある意味、
浪人みたいなものですよね(笑)
守るべき家名や
従うべき主君(会社?)など、
既に幻想であることを知っています。
じゃあ、
死に方や生き方は。
散々
死ぬ意味や、
生きる意味は、
形ではないことを
経験してきましたよね。
ただ自分の本分を全うする。
それだけなのかもしれません。
流れるままに、
自分らしく、生きていく。
死に方を求めることは、
生き方を求めることです。
「メメント・モリ」
という言葉があります。
意味は、
「死を想え」です。
何を想いながら死にたいと思うか、
それはまさしく
「今をどう生きるか」
ということなんですよね。
死を見つめ、今を生きる。
死とは
生の一部として、
存在しているのかもしれません。
ここまで
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