期待というこだわり

「今日、遅刻しちゃってね...」

「だからいつも、
もっと早くしろって、言ってるだろう」

そう、そうですね
すみません
みたいなことってありますよね。

ただ話のきっかけとして
言っただけなのに。

ただ思ったことを
言っただけなのに。

何かを求めて
言ったわけではないのに。

もう、何も言わないよ(T_T)

解決策を求めて
言っているわけではないのにね。

言われた方だって
悪気あったわけでもなく

役に立つことを
言わなくちゃと思って
まっとうなことを
言っただけなんだろうけど。

まあでも
正論を言われて
心地良かったことも
あまりないですよね。

そもそも
自分の気持ちを
分かってもらえてる感が
欲しいのですから。

せめて
一度受け止めてもらえるような言葉があって
それから何か言ってほしいなぁ
と思うわけです。

相手の真意を知ることって
難しいですね。

言う方は言う方で
分かってくれると思って
期待して言うし

言われた方は
言葉の通り受け取ったり
勝手に解釈したりして
スパっと応えてしまう。

どっちもどっちもな所も
ありますが

言う側は
自分の話を聞いてくれそうな人を選び
そして
言う時は期待を込め過ぎない。

言われた側は
話から勝手に推測せずに
自分が聞いたことは
一つのピースに過ぎずないことを
知る必要があるでしょうね。

そして
相手の真意の全体像を感じてみる。

もちろん相手に何も望むな
ということではないんです。

あなたが望んだものならば
必ずどこかに
存在するはずですからね。

ただ
目の前の人に
期待というこだわりを持ってしまえば
そこに執着が生まれてしまいます。

ひとつの扉だけに執着して
開かない扉が開くまで
いつまでも待ち続けるのか

それとも
あなたの望む相手が待っている扉を
探してみるのか。

案外
新しい扉を探した方が
スムーズに
行くんじゃないかと思うんですね。

ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。

是非読んだ感想をお問い合わせにてお送りください。


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