前回のスーパープレゼンテーションは、
エイミー・マリンズでした。
エイミーは、
幼い時に両足を失いましたが、
様々な義足を用いることによって、
自分の可能性を広げています。
「無い」がゆえに、
「ある」ことに縛られずに、
その時々にあった
可能性を追求しています。
美を追求するときには、
もっとも美しい形に。
早さを追求するときには、
もっとも効率の良い形に。
芸術を追求するときには、
人間であることさえも超えます。
しかし、
「無い」ことに注目してしまうと、
「ある」ことに執着してしまいます。
ある人以上に「ある」ことに拘ってしまい、
強力な枠を自分にはめてしまうことになります。
確かに、
人間そのものが、
人間という枠にはめられた存在です。
そして、
ただの人間だと思っている。
しかし、
この体を離れたとき、
それ以上の存在であったことを知ります。
この体を離れるまで抵抗を続けますが、
一端離れてしまえば、
自分はそもそも
自由な存在であることを知るんですね。
何かを失うことは、
決して制限の中にとどまることではないです。
制限の中にいると、
人は制限されていると思いません。
しかし、
何か失い、
その制限の枠が狭まったとき、
人は制限されると思います。
でも、
それは単なる枠だと知れば、
失った分だけ、
人は自由になれるのかもしれません。
成功し、
お金を稼げば、
枠が広がったような気分になるかもしれません。
でも、それはただ枠が広がっただけ。
制限という枠を
はめていることに変わりはありません。
自由とは一体どういうことなのか。
失うことによって、
その自由の可能性を見せてくれている人を見て、
「ある」ことの制限から、
自由になる可能性を知ることだってできる。
本当は、
あっても無くても、
人は最初から自由な存在。
ただ制限を味わいたくて、
この世界にやってきた。
あらゆる制限の中で自由を体験するために、
この世界にやってきた。
制限のバリエーションが
どんどん広がっていく世界で、
僕たちは、
「ある」ことの可能性と、
「無い」ことの可能性を、
両方知ることができるようになったんですね。
まあ、要するに
制限なんてどこにも無いってことなんですよね。
ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。
是非読んだ感想をお問い合わせにてお送りください。