予備校教師の林修さんによると
キラキラネームと学力には
相関関係があるそうなんですね。
テストの成績順に並べたら
途中から
名前が読めなくなったそうです。
さらに
東大合格者の名前は
全員読めるそうなんですね。
キラキラネームは
やめた方がいい
ということなんでしょうかね。
確かに
キラキラネームであるだけで
奇異な目で見られることもあるだろうし
そのことを気にして
勉強に身が入らなくなるかもしれません。
名前が原因でからかわれたり
名前は人の一生に
かなりの影響を与えるものですからね。
読める名前をつける親は
その辺のことを理解し
子供ことを考え
名前を付けているのかもしれないですね。
子供に
親が込めた思い
自身の名前の意味が伝わる
それも大事なことですよね。
そこが
キラキラネームは
難しいですよね。
子供が
混乱してしまうと思います。
そこに
親の確固たる思いがあるのなら
また違ってくるのでしょうけど。
とはいえ
これは
あくまでも
人生の前半までのことですよね。
子供として
無防備に
強固に固めらた観念の中を
生きてきた結果ですよね。
その中で苦しみ
スクスクと
育ってきた人たちとは
一風違った人生を
歩んできたわけです。
東大に合格させたいなら
読める名前をつける
それが
大多数にとっての真実。
でも
それは
結局
既存の価値観に
重きを置いた考え方なわけで
成績重視
大企業重視
無難に生きること重視
その価値観を
できる限り続けさせようとする観念
そこに
キラキラネームは生まれてきて
確かに
今の時代の観念には
合ってなくて
だから
キラキラネームの人たちも含めて
まだ
今の社会は
対応しきれていないのかもしれません。
今の複雑で
混迷を極めた社会を
上手に生きられるような人間を
育てるのか
それとも
社会にインパクトを与えるような
人間を育てていくのか。
もちろん
今の社会を維持して行く人も必要だし
変化をもたらす人も必要。
結局
人生が終わってみなければ
人生を判断することなんて
出来ないわけで
成績だけで
人の名前を云々言っても
しょうがないのかもしれませんね。
キラキラネームの人は
名前に
自分自身を対応させるのが
難しいかもしれませんが
新しい時代を
生きる先駆者として
逆に
名前なんて
関係ないんだって
思わせて欲しいなって思います。
名前にこだわった?結果
名前に翻弄され
結局
名前じゃないんだと。
中身であり
あり方であり
波動なんだと
それを
名前が読める人より
深く理解することが出来るんだという
矜恃を持ってもらいたいです。
ここまで
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