今ここに存在する喜びと達成感

ふと思いました

自分にとって最高の一瞬とは。

一つは
中学校の授業中
教室の何もかもが
輝いて見えた瞬間

もう一つは
これもまた中学校の時
バレーボールのクラスマッチがあって
激しく競いあう中で感じたチームの一体感

よくよく考えてみると
どちらも何かを達成したからではないんですね。

授業の中で何かを知ったからではないし
試合に勝ったからでもありません。

ただ
その瞬間にあって
何かを感じたんですね。

しかし
世間一般では
何かを得るためには

努力を重ね
犠牲を払い
何かを達成しなければならない
という観念があるように感じます。

僕自身も
そう信じていました。

だから
その中学校の時の体験には
大した意味はないのだと思っていたんですね。

ある意味
それは
あまりにも簡単に呆気無く
手に入れることが出来たからです。

しかし
何かを達成するために
頑張れば頑張るほど
僕の気持ちは冷めてしまっていたんですね。

この先に
自分が求めているものは
存在しないと
分かってしまっていたのか

そもそも
最高の一瞬を得るのに
努力など必要ないのだと
本能的に知ってしまっていたからなのか。

もちろん
達成感を味わったことはあります。

富士山に登った時がそうでした。

頂上についた時の
達成感は
とても爽快で
最高の一瞬とも言えるものでした。

でも
それまでの苦難の道を堪えて
その引き換えに得たもの
と言えるかもしれません。

純粋に
山を登る作業はきつくて
それ自体が
喜びにはなり得ませんでした。

「そこに山があるから登る」
という境地であれば
一歩一歩が喜びに変わるのでしょうかね^^

いづれにせよ
僕にとっての最高の瞬間には
苦労とか努力とかは関係なく
達成感も関係なかったのです。

ただそこにある喜び
一つとなる喜び

それだけで
それこそが喜びだったんですね。

何かを
達成しなければ喜びを得られない

そう信じてしまったとしたら

喜びには
苦しみが必要なのだ
という観念があるということになります。

そういう観念があっても良いのですが

それしかない
という観念は限定的です。

人は
いついかなる時にも
存在する喜びを
味わえるものなのではないでしょうか。

少なくとも
子供の頃には誰もが

その一片を
感じることができたのではないでしょうかね。

ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。

是非読んだ感想をお問い合わせにてお送りください。


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