死への憧れは無力感の表れ

自分は
誰かの期待に
応えなくちゃならない

自分が
世界を
変えなくちゃならない

世界が変われば
自分も変われるはずなのに

ただ
自分に出来ることをやるだけで
誰かも変り
世界が変わる。

やっぱり
最後が
一番楽だし
エネルギーが流れる感じするし
ワクワクする感じがしませんか^^

ネットの記事を読んでいたら
死に対して
憧れを抱いている人が
結構いるそうなんですね。

実は
僕も
死への憧れを抱いていました。

教室の僕の机の上に
花が飾られている光景を
想像したりしていたんですね。

どうして
こんな想像するんだろうって
不思議に思っていたんですけど

ただ
なんとなく
死ねば
皆に注目してもらえるかなと
思っていたんですよね。

ネットの記事によると
死に憧れる理由は
「楽になれるから」
ということでした。

確かに
僕の中でも
そう思う気持ちが
あったとは思うんですけど

それだけじゃないような
気もしていたんですね。

で、気がついたのが

僕にとって死は
亡くなった兄に対する対抗だった
ということです。

僕が
生まれた時には
既に
この世に存在していなかった兄は

両親の中で
曇りのない完璧な存在でした。

しかし
反対に
僕は両親にとって
ダメなところばかりが目立つ
不完全な存在だったわけです。

僕は
必死に
兄のような存在に
なろうとしていました。

でも
どんなに頑張ったとしても
兄の代わりになれるはずもなく

死ぬことで
兄と同じ場所に立てると
思ったのかもしれません。

最近
やっと
そのことに気がついて
分かったんですね

単純に
「楽になりたい」
では説明しきれなかった理由が。

死んで「楽になりたい」
と思っている人も

もしかしたら
それは
無力感の表れなのかもしれません。

死への憧れは
無力感の表れ。

幼かった僕は
知らず知らずに
兄と自分を同化し
兄を演じようとし
そうはなれない自分を責めていました。

でも
大人になった今

それは
必要のない行為だと分かります。

自分の範囲外の行為ですよね。

自分で
勝手に背負い込んで
苦しんでいました。

もちろん
両親のために
だったのですが・・・

しかし
それは
結局
誰にも認めてもらうことのない
行為なんですね。

そういう意味で
人は
自分の範囲というものを
しっかりと認識する
必要があるのだと思います。

この物理的現実世界では
自分の出来ることには限界があります。

その限界を越えて
何かを行おうとすれば
当然
無力感を味わうことになります。

何よりも大事なことは
自分の範囲をしっかりと認識し
その範囲内で
自分の出来ることを精一杯やること。

人は
それだけでいいのだし
そうあることが大事だし

それこそが
本当に世界を
変えることになるのだと思います。

ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。

是非読んだ感想をお問い合わせにてお送りください。


シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする