誰かを
助けたいと思う時
その誰かを導くための
理論や理想はない。
助け方の理想形のようなものは
存在するかもしれませんが・・・
手助けとは
目的地に
車で送ってあげたり
重い荷物を
一緒に運んであげたり
するようなもの。
その人が
したいと思うことを
出来るように手伝うこと。
決して
こちらの方が良いと
押し付けることではない。
その人が
やりたいことをやって
失敗したとしても
それは
学びの一つであり
歓迎出来ることでさえある。
ただ
時に
学びは
大きな代償を強いるときもあるから
未来の予測を
示してあげることも
時には必要なのかもしれない。
しかし
あくまでも決めるのは本人であり
本人にしか
本当の道は分からない。
種をまくこと
自分の畑であれば
水をやり
肥料を与える。
上手く育てることが出来れば
自分も嬉しいし
同じように作物を
育てたいと思う人も
集まってくる。
何かを尋ねられたとき
応えてあげられる。
援助を求められたら
手伝ってあげられる。
でも
誰かの畑を
頼まれてもいないのに
耕してしまったら・・・
そこには
自分でやってこその喜びがあるはず。
コミュニケーションを続け
相手の邪魔にならず
さり気なく見守り
収穫の時を迎えたら
一緒に喜び味わう。
それが
楽しくて
また
自分の畑を一生懸命やり
誰かの畑を手伝う。
常に
新しい種を見つけてきて
一緒に耕しまく人。
自分の畑で
一生懸命
作物を育てるから
その作物を
誰かに
分けてあげることも出来る。
育てることの喜びを知るから
その喜びを
誰かに伝えたいと思う。
それは
使命でも
やらなくてはならないことでもない
とても
自然に湧き上がってくるもの。
気がつくと
たわわに実る風景が
目の前に広がっている。
ここまで
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ありがとうございます。
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