理解は
向かう先を教えてはくれない。
分析し理解する過程で
気づきという飛躍が起き
理解は
それに従い進んでいく。
理解が
概形を浮き上がらせ
気づきが
その象徴を出現させる。
スピリチュアリティを学ぶ上で
何が大事なんだろうと考えてみると
気づき
真実を求め続ける心
自分を認める勇気
やり続ける行動力
決めつけないこと
などなど
色々あると思っているんですけど
まず
大事なのは
「気づき」だと思うんですね。
気づきという飛躍がまずあって
その後
そこを目指して理解が進むのだと思います。
よくやってしまうのが
本当は
気づいているはずなのに
自分でも気づかずに
気づかないふりをしてしまう
ということです。
気づくということは
ある意味
面倒くさいことですからね。
変化を生み出す原点になりますから。
だから
もし
変化を望まないのであれば
無視するに限るわけです。
でも
本当は
気づきを無視し続けることのほうが
きついことだし
苦しいことなんですよね。
物事は
気づきを促すように起きるし
気づきがあるから
人は
変化を生み出し
必要な経験をすることができるからです。
だから
気づきというものを
単なる気のせいにするよりは
どんどん気づいて
変化と一体になるほうが
むしろ楽なんだと思います。
では
気づくためには
何が必要なのか。
まず
自分の中の違和感を
大切にすることだと思うんですね。
何だか分からないけれど
何かが心の中で引っかかる
誰にでも
あることだと思うんですけど
その時
本質的な自分は
何かに気づいています。
だけど
強制はしません。
感じるか
感じないかは
あなた次第^^
まあ
でも
無視し続ければ
半ば強制的になるかもしれませんが
だから
何かに気づいたのなら
無視せず
分析せず
ただ
自分に
問いかけてみるんですね。
割り出すのではなく
投げかけてみる。
そうすると
たとえ
突拍子もないような答えであっても
なぜか正しいと
確信できる答えが返ってきます。
物事に入り込みすぎず
適度な距離を
持つことも大事だと思います。
今ここだと
思っている場所から
離れてみるんですね。
空間を作って
気づきが入り込む余地を
作ってあげるわけです。
深呼吸してみたり
散歩してみたりするのもいいと思います。
結局
知識でも
能力でもなく
態度が決めるのだと思います。
気づこうとする態度です。
でも
あまり前のめりに
気づきにいってはいけません。
気づけるよう
お願いするくらいが
丁度良いのだと思います^^
ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。
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