スピリチュアルは
決して
考えることや
説明することを
やめることではなく
むしろ
その逆で
この世界を超えて
本質を捉えようとする行為。
この世界で
満足出来てしまっている方が
よほど
考えることや
説明することを
やめているように見えなくもない。
「スピリチュアルにハマる人、ハマらない人」
という本を読みました。
ちなみに
著者の香山リカさん自体は
スピリチュアルには
ハマらない人だそうです。
その理由としては
スピリチュアルは
考えることや説明することを
やめてしまっているからで
霊能者や
スピリチュアルカウンセラーの言うことに
説明を求めてはいけない雰囲気が
あるからだそうです。
確かに
何かが見えるという人に
何かを言われてしまったら
そうしなくちゃいけないのかなと
思ってしまいますよね。
そこは僕も同感です。
だけど
神だろうが
霊能者だろうが
スピリチュアルカウンセラーだろうが
自分が
納得できないものを
納得できるわけがありません。
だから
最近は
あまり影響を受けたくないので
いわゆるスピリチュアルと
言われているものには
あまり
接触しないようにしてるんですけどね。
と同時に
世間のニュースに触れるのも
必要最小限にするようにしています。
そうしないと
恐怖や心配で
一杯になってしまいそうで。
それよりも
いかに
自分と繋がるか
自分が感じたものを大事にできるか
を意識しています。
僕はむしろ
より良く理解するために
よりよく生きるために
この世界を越えて広げて
生きるべきだと思っています。
自分は
どうして生まれて来たのか
どうしてこのような人生を生きているのか
どうやって生きたらいいのか
納得できる答えは
この世界のどこを探しても
見つけることは出来ませんでした。
心理学も学びましたが
答えはどこにも書いてないんですよね。
であれば
もっとその先と思ったのが
スピリチュアルの世界を
学ぶきっかけでした。
この世界にいながら
この世界を超えて生きることは
この世界しか認識できない人達から見たら
きっと理解しがたいでしょうね。
僕にも
説明は無理です^^
でも例えば
戦争や災害で
苦しむ人々の姿を目にした時
何故
理由もなく苦しまなければならないのか
それを
この世界のことだけで納得できる説明が
一体誰にできるのだろうかと思うのです。
人生とは
世界とは
そういうものなのだと言えば
それで
納得しなくてはならないのか
我慢しなくてはならないのか。
この世界を超えた視点で
考えなければ
説明がつかないのではないかと思うのです。
スピリチュアルは決して
考えることや説明することを
やめてしまうことではないんですよね。
ましてや
当たる当たらない
視える視えない
でもない。
むしろ
この世界だけで
物事を捉えることをやめて
自分の本質に
出会うことだと思います。
心を自由に広げた時
本当に
この世界だけにとどまれるのでしょうか。
この世界や
この身体は
全体の一部であり
あなたはこの体験を選んできた。
この体験を楽しむために
全てを忘れ
遊ぶことに熱中している。
この世界は
遊び道具で溢れている。
あなたを熱中させるものならば
何を選んだって構わない。
スピリチュアルを忘れるという
スピリチュアルな遊びだって構わない。
スピリチュアルというオモチャで
本質からもっとも遠ざかったって構わない。
時には
本質からもっとも遠ざかることが
本質にいたる近道にもなり得るのだから。
なんてね^^
ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。
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