生き方が嗜好品のようであれば・・・

断捨離
ミニマリスト

最近
個人的に
よく耳にする機会があったので
ちょっと考えてみました。

僕としては
シンプルに生きたいと
思っているので

断捨離やミニマリストから
学べることは
あるだろうと思っています。

なんという
歯切れの悪い書き方^^

そう思っているんですけど
なかなか
実行するところまでいってません。

結局
無駄な部分なんて
ないと思っているし

無駄なところから
沢山のことを学んできたし

でも
シンプルに生きることにも
大きな恩恵があると思うし

ことさら
片付けにフォーカスする必要も
ないんじゃないか
とも思ったりもしています。

より良く生きられているか
気分良くいられるか
が大切だと思うんですね。

自分にとって
心地よい空間であれば
片付いていようが
片付いていまいが関係ないのでは
なんて思っています。

あと気になるのが
それが目的になってしまわないか
ということです。

何のために
断捨離したり
ミニマリストになるのか。

そのために
四苦八苦するのは
出来る人には良いけれど
出来ない人にとっては
苦痛になってしまいます。

そこを
上手くやるための方法を
紹介しているのだと思うのですが

目指す方向が
上手くやれるか
上手くやれないかだとしたら
苦しみは消えないような気がします。

結局
より良く生きるための
一つのツールでしかないと思うんですね。

きっかけとしては
とても良いと思います。

ただ
断捨離にしても
ミニマリストにしても

人の生活に直結しているから
影響力が大きすぎるし
説得力があり過ぎます。

片付いている方が
何もない方が
良いに決まっているでしょうと

それこそ善だ、くらいに。

その点
贅沢品は潔いですよね。

絶対正しい
善だなんて言えないから

好きな人だけでいいと
割り切って言えるし

車なら
乗る人がいて
乗らない人がいて

好きな人も
そうでない人も

必要な人も
贅沢品だと思う人も

一様に認めることが出来る。

ただ
好きな車を
買って運転して
幸せになればいい。

乗りたくなければ
買わなければいいし
そのことを
誰も責める人はいない。

絶対に
これこれこういう車を
買わなければ幸せになれない
なんてこともないですからね。

ある意味
無駄なもの
嗜好品に凝ることは
幸せなことですよね。

幸せだけを求めて
やることが出来る。

でも
生活に直結していることは
良い悪い、善悪の判断が
付いて回ってきてしまう。

だから
面倒臭くて
でも
大きな学びがあるのだろうけど

出来れば
生き方そのものが
嗜好品のようであれば

生きることを
純粋に楽しめるのかなぁ
なんて思いました^^

ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。

是非読んだ感想をお問い合わせにてお送りください。


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