スピリチュアルに生きるとは

なにも
毎日
お祈りすることでも
瞑想することでも
ないと思うんですね。

もちろん
心は安らぐだろうし
安定するだろうし
インスピレーションも得やすいだろうし
メッセージが降りてくるかもしれません。

でも
それだけでは
ちゃんと生きていることには
ならないと思うんですね。

それは
ある意味
この世界じゃなくても出来ること。

まあ
あえてこの世界で
人里離れて
仙人のような生活をすることにも
それはそれで
意味はあるのでしょうけど

あなたが
することではないと思うんですね。

たとえ
悟りを得たとしていても
この世界と
関わり続けていることに変わりはない。

しっかりと
目を開き
耳を澄まし
香りを嗅ぎ
味わう。

これ以上のことが
この世界に
他にあるのだろうかと。

辛い時も
悲しい時も
苦しい時も
楽しい時も
美味しい時も
感動した時も

人は
もっともっとと
「さらに」を求めます。

感覚を
麻痺させてしまうほどにです。

というか
麻痺させたいのかもしれませんが

その状態で
全てを知っていると思い込んでも
ただそれは表面を
なぞっているに過ぎないんですよね。

世界を細かく
分析すれば良いわけでもありません。

詳細を
全体として見るというか
捉えるというか。

感覚を研ぎ澄ませ
でも
一つ一つに囚われることなく
流れとして捉える。

心の鏡に写して
距離を離して薄目を開けて見てみる。

世界は
繊細さを増し
体験の粒子は細かくなり
体験の質
そのものが変わってきます。

法則の成り立ちが分かるというか。

この世界をマスターする

それも
必ずしも
この世界が生きやすくなることとは
違うのかもしれません。

マスターするためには
様々なことを
十分経験する必要がありますからね。

追求したいこともあります。

体験している自分を
評価するのではなく

体験している自分を
認めていく。

何かを作り出さなきゃ
ならないわけでもなくて

ただ
そこにあるものに
感動すればいい。

なぜだろうと
考えたっていい。

でも
考えたって
人生は分からない。

手放し
認める。

単純だからこそ難しい。

単純過ぎるから
考えこんでしまう。

難しいものだと
思い込んでしまう。

それもまた
一つの楽しみ。

面倒臭くなって
飽きて
疲れて

それでも
人生はそこに存在していて

スピリチュアルに
生きていることを知るわけです^^

ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。

是非読んだ感想をお問い合わせにてお送りください。


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