あの人とはどうして違うのか

自分と誰かを比べた時

何が違うのか
どうして
こんなにも違うのか
と思うことがありますよね。

やるせない
気持ちになるというか。

でも
それは
存在として
同じだから
違いを感じるんですね。

それは
一体どういうこと
と思われるかもしれません。

そもそも
世の中っていうのものは
不公平に出来ているんだよと。

でも
あっちが得をして
こっちが損をする
なんてことに

もし
何の意味もないとしたら
本当に納得できるでしょうか。

人は
違いがあるから
多くのことを
学べていると思うんですね。

言い換えると
同じ存在だから
違いが分かり
学べているというか。

同じ年、同級生、同期
同じ学校、同じ会社

自分と相手が
同じ立場と想定したとき
違いを比較します。

そもそもが
違うと思えば
比較することさえしませんよね。

根本的に
違っていたら
何も交われないというか
何を学んだらいいのか
分からなくなってしまうと思います。

現実的には
不公平だと思えることは
沢山ありますけど

でも
本質的に
全ての存在が
同じだと捉えることで
違うことに込められた意味が
分かるというか。

そもそも
同じだと
うすうす分かっているから
違いを気にしてしまう。

いや
同じだと信じきれていない
疑う気持ちがあるから
違うことが気になってしまう。

だとしたら
違いを認めてみる。

それは
すなわち
同じであることを
認めることになるんですね。

同じであることを
前提としているから
世界は
違いで溢れている。

同じ人間だから
容姿や能力の違いを
魅力として
感じあうことが出来る。

優劣という
違いの幻想は
もしかしたら
自分が作り出しているんじゃないかと。

違いは
ただ違いとして
楽しむためにあるのではないのかと。

違いがなければ
つまらないですからね。

大昔に
優劣を作り出して
コントロールしようとした人たちが
いたんですよね。

それが
今も
続いてしまっているだけ。

でも
もう
その幻想から
抜け出すときが来ている。

今は
その作業を
一個一個丁寧に行っている時。

もう
未来には
残さないためにです。

違いを感じたら
私は
一体
そこから
何を学ぼうとしているのだろうと
感じてみるんですね。

まあ
そんなに
大げさな感じじゃなくても

ただ
違いを感じてみる。

しばらく
その感情に浸ってみる。

すると
もしかしたら

違っていて
良かったのかもしれない

だって
違うことによって
気づくことが出来たのだからと
気づけるかもしれませんよ^^

ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。

是非読んだ感想をお問い合わせにてお送りください。


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