問題として見えるのなら、何か出来ることがある

今朝の信濃毎日新聞の斜面は、
「ホ・オポノポノ」
について書いてありました。

僕の中では、
「ホ・オポノポノ」って
スピリチュアルなイメージだったので、
いよいよ
新聞にも載る時代になったんだなと思ったら、

北朝鮮のミサイル発射強迫に絡めた、
ハワイ伝統の
「平和を創る発想術」という扱いでした。

何か問題が起きた時、
当事者を含めた家族や
その近所の人達が集まり、
自分たちの責任として解決を図るんですね。

問題が起こる予兆を見逃した責任、
問題が起こりやすい環境を作った責任。

そして、
その責任に対して、
何が出来るのかを考えるそうです。

問題が起こらないような環境を作ったり、
お詫びに何かを手伝うとか、
人々の絆をより密にしたりするんですね。

加害者だけでなく、
被害者や直接関係の無い人までが責任を負う。

というか、
自分の問題として捉える。

被害にあった方にも問題があると
言いたいわけではありません。

ただ、
加害者だけが悪いんだと
罰したところで、
犯罪は決して無くならないわけで、
みんなが自分の責任として、
問題を受け入れてみるんですね。

僕が知っている「ホ・オポノポノ」は
自分の潜在意識が現実に現れていると考えます。

「ごめんない」

「許してください」

「愛してます」

「ありがとう」

と唱えて
自分の潜在意識をクリーニングすると、
現実世界に変化が現れるというものです。

目の前の現実は自分が作っている。

目の前の現実は自分を写す鏡。

それが問題として見えるのなら、
そこには
何か自分に出来ることがあるはずなんですね。

例えば、
自分の中の感情に気づくことかもしれない。

何かを許すことかもしれない。

実際に行動を起こすことかもしれない。

いづれにせよ、
目の前の現実に対して、
何ができるのか感じてみることが
責任なのだと思います。

ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。

是非読んだ感想をお問い合わせにてお送りください。


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