自分と相手は、違う存在か、同じ存在か

人と人との
コミュニケーションは

互いに違う存在なんだという
視点に立って
なされるものなのでしょうか。

それとも
同じ存在という視点に立って
なされるものなのでしょうか。

分かり合えない存在としてなのか
分かり合える存在としてなのか。

同じなんだから分かるだろうは
少し怠慢な態度のような気もします。

違うんだから
分かり合えるはずがないと思うのも
ちょっと寂しい感じがします。

表面上は
もちろん違う存在なのだから
分かり合えないように見えるのは
仕方がないのかもしれません。

だから
期待しなかった分
分かってもらえたとき
逆にとても嬉しく感じるのでしょう。

深い所で繋がっていることを
前提としながらも

表面上の違いを理解して
無理に何か見返りがあることを
期待しない。

理解するのかしないのか
変わるのか変わらないのか
選択するのはあくまでも相手です。

それを強制することは出来ません。

相手にとって
今何が必要なのか考え
伝えるべきことがあれば伝える。

あとは手放す。

相手への期待が無くなれば
こちらの気持も楽になりますよね。

大丈夫
変化は目に見えないところで
ちゃんと起きていますから。

ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。

是非読んだ感想をお問い合わせにてお送りください。


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