あなたはあきらめという言葉を使ったが、確かにあきらめたことで「幸福の流れ」が力強く流れ出すことが可能になる。しかし、そこで「あきらめられた」のは闘い、抵抗で、この物質世界の身体で生き続けたいという願望ではない。
エイブラムの言葉です。
前回のマトリックスの記事を
書いていて
気づいたことがありました。
そもそも
そう簡単に
救世主になんて
なれるわけがないんですけど
でもそれは
ネオが
引き寄せの流れを
自分で止めていたからなんですよね。
君は救世主だと言われたら
普通
疑いますよね。
今まで自分が
作り上げてきた信念の中に
救世主になるという項目は
普通ありませんからね。
でも
モーフィアスの勢いに押されて
自分は救世主ではないと
なかなか言えないわけです。
モーフィアスの期待に応えたい
でも応えられない。
その気持ちが
抵抗となって
引き寄せを止めていたんですよね。
そして
預言者に
残念ながらあなたではないと
言われてしまいます。
残念に思うと同時に
ホットしたんじゃないかと
思うんですよね。
これで
モーフィアスに言えると。
この瞬間
抵抗は消えたんですね。
ここで諦めたのは
救世主になることでなくて
救世主になれていない
という現実を見続けること。
ネオ自身が
救世主になりたいと
思ったかどうかはわかりませんが
モーフィアスの期待に応える=救世主になる
だったわけですよね。
その願望は
既に本当の自分に
届けられているんですけど
実際のネオがしていたことは
救世主になることを
望んでいるよう見えて
救世主になれていない自分に
執着し続けることだったわけです。
その執着を
「あなたではない」によって
見事に手放すことが出来て
救世主になるという願望だけが
残ったんですね。
何かを望んでも
なかなか達成されず
気持ちがネガティブになってしまうとき
望んでいるつもりが
「無い」ことに注目して
知らず知らずに
抵抗してしまっている場合があります。
そんなときは
手放すことが
願望を叶える一つの方法になるんですね。
手放すことによって
抵抗がなくなり
願望だけが残るからです。
それは
本当の自分と
調和が取れたということ
許容・可能
出来たということ
自然な流れに
任せることが出来ということ
なんですね。
ちゃんと
そこまで
描かれていたんですね〜
やっぱり
マトリックスは
すごい映画です^^
ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。
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