『コラテラル』芝居の中で芝居した顔は、本当の自分の顔

トム・クルーズ主演の
「コラテラル」を見ました

トム・クルーズが
悪役を演じているというくらいしか
知識しかなかったんですけど

展開が読めず
結構面白かったです

冒頭にいきなり
ジェイソン・ステイサムが出てきたので
トムとステイサムが
一体どう絡むんだろうと思ったら
それっきりだったり

主人公のタクシードライバーが
最初に乗せた女性客と
意味ありげだったのに

その後
全然出てこないので
またこれっきりと思ったら
最後の最後に大きく関係してくるし

事件を追う
ロサンゼルス市警の刑事は
一人だけ真実に気づき
主人公を助けようとするんだけど
あっさり殺されてしまうし

こうなると
一体誰が
助けてくれるんだろうと思ったら

最後は
主人公が助ける側になるし

主人公が
ある程度変化していくのは
だいたい分かってましたけど

でも
いきなりスーパーマンになるのではなく

あくまでも
気持ちが変化することによって
行動が変わり

自分が信じられるようになり

そのおかけで
人を助けることができたんですよね

それにしても
主人公は
冴えないタクシードライバーなんですが

トム演じる
殺し屋の身代わりにさせられて
雇い主のアジトに行かされます

失くしてしまった資料のコピーを
代わりに取りに行かされたんですね

最初
主人公は
雇い主のボスにいびられるんですが
覚悟を決めて
啖呵を切ります

その時の表情を見たら
普段 この人は
きっとこういう顔の人なんだろうなと
ふと思ってしまい

芝居に見えなくなってきて
違和感を感じました

芝居の中で
芝居した顔が
実は素の自分の顔だった、みたいな

どうでもいいことですけどね^^

リムジンで送迎する会社を
経営すること夢見る
冴えないタクシードライバー

本気で
行動を起こす気にならないない彼を
偶然出会った殺し屋が
本気にさせてしまいます

あり得ない
設定なんですけど

人生には
良くあることですよね

なんで
こんなこと起こるんだ
という事が起こることによって
変化せざるを得なくなる

しかも
ちゃっかり
自分が望んだ自分に

まさしく
人生とは思い寄らないことの連続

それを
恐れるのか
受け入れるのか

もちろん
だから
すべてを受け入れて
なすがままに流されろ
ということではないです

何かが起きた時
自分の行動を決めていくのは
紛れもなく自分です

自分が
責任を持って行動していく時
本当に
人生は変わっていくのだろうと思います

自分では
演じてるつもりが
本当のところは
ただ素の自分に
戻るだけなのかもしれない

今の目の前で
起きていることは
自分が変わっていくために起きている

しかもそれは
自分の責任として
受け入れることによって
本物になっていくんですよね

ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。

是非読んだ感想をお問い合わせにてお送りください。


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