言葉では伝えきれない、魂のやりとり『300』

映画「300」
を見ましたー。

筋肉、筋肉
これでもか〜っていうくらい筋肉^^

そして、熱い。

サッカーW杯での
ギリシャの粘り強さの一端を
見た気がしました。

さて
スパルタの王、レオニダスは
最後の決戦に望む前に
部下のディリオスを呼びます。

国に戻って
自分の物語を伝えてくれと
頼むんですね。

ディリオスは
王妃に
メッセージはあるかと尋ねます。

きっと言葉としては
何もないだろうなと思いました。

レオニダスは
長い沈黙の後
「言葉はいらぬ」と
戦いの前に王妃から受け取った首飾りを
ディリオスに渡します。

そうだよね
やっぱり
言葉にできないよね。

というか
言葉では伝えきれないよね。

愛しているとか
息子を頼むとか
国を頼むとか
勝手なことしてすまないとか

そんなことを
言ってしまったら

王妃にとってみたら
あなたの戦いは
そんな薄っぺらなものだったの
なんて思ってしまうような気がします。

もちろん
王妃を愛しているし
子供を愛しているし
国を愛していると思うんですよね。

そして
自分の勝手を許してくれたことに
感謝してるだろうし
謝罪の気持ちもあると思います。

その様々な気持ちを
全部含めた
自分らしさみたいなもの

映画の中では
「自分の魂」
という表現をされていたものを伝えるには
言葉ではあまりにも陳腐過ぎて

やはり首飾りを
渡すことが
エネルギーの象徴としてやりとりするには
もっとも相応しかったのではないかと思います。

お互い
その首飾りに込められた
器としての質が分かっていますからね。

そして
この状況で
その器に盛られているものが
当然何であるかも
きっと分かると思うんですよね。

結局
伝わるのは
言葉じゃないんですよね。

魂なんですよね。

言葉は
ただ媒体でしかないというか
もちろん
媒体として優れているし
とても大事なものであることは
間違いないんですけど

あえて
言葉で伝えない
そんな
魂のやりとりもあるんだなぁと思いました。

ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。

是非読んだ感想をお問い合わせにてお送りください。


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