自分の変化に合わせて、観念を選んでいく

自分であるという体験『千と千尋の神隠し』
の続きです。

千尋が別の世界に迷い込んでしまったとき、
名前を奪われ、
「千」という名前にされてしまいます。

千は、
以前の自分を
忘れてしまいそうになります。

そのくらい、
名前は、
自分のアイデンティティの拠り所でもあり、

実は、
根本的な観念の一つでもあると言えます。

戦国時代の武将たちは、
成長するに連れて、
名前を変えていきますよね。

日吉丸
木下藤吉郎
羽柴秀吉
豊臣秀吉

その時々で
自分に相応しい名前を選んでいきます。

現代でも、
歌舞伎や落語、相撲で見られますよね。

特徴的なのは、
既に名前が存在していて、
その名前を襲名するということです。

周りの人々の、
こうあるべきという人物像、
技能レベル、
そういった思いが込められている観念。

まさしく観念をまとう感じですね。

最初に名前ありきで、
その名前に人が合わせる。

一方、
現代では、
普通の一般人が、
簡単に自分の名前を変えることはできません。

一生、
同じ名前を使い続けます。

まあ、
女性の場合は、
結婚によって苗字が変わることが
結構ありますが、

苗字を変えた後って、
何か変わるんでしょうかね。

とにかく、
一生同じ名前を使い続けるということは、
一生同じ観念を使い続ける、
ということになるんですよね。

子供の頃に作られた観念を、
大人になっても使い続けることになる。

じゃあ、
名前をその時々で、
変えろということなのかといえば、
そういうわけでもありません。

自分というアイデンティティを
自分に対しても、
周りに対しても、
保つためにはやはり拠り所は必要ですからね。

ではどうするか。

自分という
アイデンティティを保ちつつ、
その時々にあった自分を
選択していくことができれば良いわけで、

それには、
個人的な肩書きを持つということが、
有効なのではないでしょうか。

今だって、
多くの方が肩書きを持ってますよね。

恋愛カウンセラー
就職アドバイザー
人生コラムニスト
料理コンサルタント
ハイパーなんとか

わざと相手に期待させるものにするか、
相手の意識に?を埋め込むか。

と同時に、
自分に対しても、
その肩書を名乗ることによって、
スイッチを入れる。

自分を名乗らなければ、
相手が自分を認識できない以上、

つまり、
観念を必ず掴まなければならない以上、

自分に対しても、
相手に対しても、
相応しい自分の名前(観念)を
与えてあげなければならない。

その肩書が、
今の自分に近ければ近いほど、
その肩書は、
あなたのことを
より深く語ってくれる。

これからは、
一人ひとりが独自の肩書きを
持つ時代が来るのだと思います。

ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。

是非読んだ感想をお問い合わせにてお送りください。


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