『ブラック・スワン』もう一人の自分を無視することほど、ホラーなことはない

今回の映画は
「ブラック・スワン」です^^

怖いですね〜。

でも
その怖さや恐れは
自分の中に潜んでいるものなんですよね。

主人公のニナはバレリーナで
「白鳥の湖」の主役に抜擢されます。

白鳥の湖では
純真無垢な白鳥と
官能的で邪悪な黒鳥の両方を
一人で演じなくてはなりません。

しかし
真面目でおとなしいニナは

白鳥は
正確に演じることができるのですが

黒鳥の方は
なかなか
上手く演じることができません。

自分の感情を
抑えてしまうからなんですね。

すると
自分の中のもう一人の自分が
徐々に現れ始めるんですね。

私を開放してと。

ニナは
バレリーナを断念した母に
過保護に育てられてきました。

母は
自分が
ニナを生むために
諦めなくはならなかった
バレリーナになる夢を
ニナに過剰に押しつけていたんですね。

ニナは
そんな母の期待に応えるように

そして
そんな母の身勝手な思いに反抗するように

純真なままでいようとします。

けれども
黒鳥を演じるためには
ずっと封じ込めてきた別の自分を
表に出さなければなりません。

もう一人の自分は
自分の存在をニナに訴え続けます。

そして
最終手段として

自分を殺す

もう一方が
もう一方の存在を消そうします。

その危うさが
結局
素晴らしい演技につながるのですが・・・

まあ
それは置いといて

自分の中に
眠っているもう一人の自分が
ホラーのように迫ってくるんですが

それは
バレリーナとして
演じなくてはならないという
窮極のプレッシャーの中で
やむを得ずというところが
無きにしもあらずなんですね。

母の期待に応えるために
母に復讐するためにバレリーナになり

主役を演じるために
分裂してしまった自分を統合させるために
もう一人の自分を消し去ろうとする。

急ぎ過ぎなければ
ゆっくり
統合させていければいいんでしょうけれど

人は
なかなか変われないですよね。

だから
あるきっかけを利用して
変化を遂げようとする。

最後のシーンは
統合された
一人の人間になるための儀式であり
象徴であったのかなと思います。

本当は
もう一人の自分を殺す
なんてところまでいく必要はなくて

ただただ
認めてあげればよかったのになぁと思います。

まあ
それができないから
窮極の手段を選んだのだと思いますが。

人の業を描いて
それが芸術だ
なんて言うのは
もうそろそろ
終わりにするときなのかもしれません。

ということで
ネットで見てみると
結構評価が高い映画なんですが
確かに
よく出来た設定だし
見せ方も良かったし

でも
ちょっと
納得いかんなぁ
って感じてしまいました。

自分が
自分を
消し去ろうとする行為が
結果的に
白鳥の湖を
完璧に演じるための秘訣なんて
皮肉過ぎますからね。

そんなに
苦しまなくたって
自分を統合する方法はあるんじゃない
なんて思ってしまいます。

もう一人の自分を
排除しようとすればするほど
その行為はエスカレートしていきます。

そもそも
とても自分にとって
大事な存在ですからね。

まずは
自分が
どれだけ
自分の感情を無視し続けてきたか
気づいてあげることが大事なのだと思います。

ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。

是非読んだ感想をお問い合わせにてお送りください。


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