映画「マン・オブ・スチール」
を見ました。
いかにして
スーパーマンになったのか
というお話です。
壮大な
自分探しの物語でもあります。
正直
あまり期待していなかったのですが
結構良かったですね^^
こじつけ方が
スゴイなと思いましたけど
訴えたい所には共感できました。
クリプトン星人は
地球をクリプトン星と同じ環境に
作り変えようとしますが
クリプトン星は
クリプトン星人自らの手で
崩壊しているんですね。
クリプトン星人は
それぞれの役割に応じてデザインされ
通常人工的に生み出されています。
だから
クリプトン星人は
自分の役割を果すことのみに
全力を注ぎます。
そのことが
どんな結果を招くのかも考えずに
突き進んでしまうんですね。
それを反省し
ジョー=エルは
カル=エル/クラーク・ケントを
自然な状態で誕生させ
その体の中に
クリプトン星人の全ての情報を与えました。
さらに
クリプトン星人としてではなく
地球人として成長させ
人々を導く存在になることを望んだんですね。
でも
それによって
クラークは
辛い子供時代を過ごすことになります。
周りとは違う自分は
一体何者なのか
答えを求めて放浪を続けます。
幼い頃のシーンが
僕にとっても
辛い記憶を呼び覚ましました。
もちろん
僕には
あんなスーパーな力はありませんけど
でも
何かが
周りとは違う感じがしていたんですね。
そして
やっぱり
これが自分なんだと
納得できるまでに
長い年月が必要でした。
それを考えると
スーパーな男も
実は
そんなにスーパーでもないのかも
なんて思います。
自分が
存在する意義を知らなければ
決して「スーパーマン」には
なれないわけですからね。
そこには
いつも見守ってくれる存在がいました。
人と人との関わりの中で
自分の居場所を
見つけることができたんですね。
育ての親によって
違っていても愛されることを知り
周りの人からは
スーパーな能力が恐れられることを知り
同胞からは
思い込んでしまったがゆえの狂気さや
スーパーな能力を持つことの傲慢さを知り
愛してくれる人からは
どんなときにも
信じることこそ
パワーの源であることを知りました。
スーパーな能力を持つことは
もちろん
自分の特徴なんですけど
その能力も
限らた場所でしか
発揮することはできないし
能力自体が
足かせになることもある。
スーパーな能力があるから
「スーパーマン」なのではなく
誇大ではない
等身大の自分こそが
スーパーパワーを操る
「スーパーマン」だということが
大切なことなんですよね。
ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。
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