人は常に何かに取り憑かれているわけですが・・・『ザ・ライト エクソシストの真実』

映画
「ザ・ライト エクソシストの真実」
を見ました。

主人公のマイケルは
葬儀社の息子で神学生です。

ある時
勧められて
エクソシストを養成しているバチカンへ。

そこで
実際に悪魔祓いを行なっている
ルーカス神父に出会います。

ルーカス神父を演じているのは
あの「羊たちの沈黙」の
レクター博士を演じたアンソニー・ホプキンス。

ルーカス神父自身も
悪魔に取り憑かれてしまうのですが
その様子に
レクター博士の狂気を思い出してしまいました。

ある意味、人は常に
何か取り憑かれているわけですが

その取り憑かれているものの
抽象度が下がれば下がるほど

狂気の沙汰になるような気がします。

その究極の形が
悪魔なのかもしれません。

凝縮された形であり
強固な観念であるため
人そのものに
大きな影響を与えることになります。

映画を見ていて
一つ気づいたことがあります。

それは
悪魔祓いをする時に
必ず悪魔の名前を聞き出すことです。

何故かなと思ったのですが

私達の氏名など
様々なものに付けられる名前は
個別化し特定化するために付けますよね。

それは
細分化することであり
ワンネスの存在である神から
最も遠ざかる行為?

名前には
それだけ固体化させる力
固定化させる力があると思うんですね。

この世界に
存在させる力となる

悪魔さえも。

だから
悪魔の名前を
特定することによって
レーダーをロックオンし

神の名のもとに
その体から出ていくように命令する。

時に
あまりにも強固な観念は
信じすぎているがゆえに
あまりにも当たり前過ぎて
気づけないことがあります。

そんな時は
イメージワークをして
シンボルという形にしてみれば
認識できるようになります。

そのシンボルと
一体になってみると
自分が信じている観念が分かるんですね。

そして
それが自分にとって
必要のない観念であるならば
自分が望むように変えていけば良いわけなんです。

本当は
抽象度を下げて過ぎて
悪魔ととなる前に
気づけたら良いのですが・・・

ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。

是非読んだ感想をお問い合わせにてお送りください。


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