『風立ちぬ』清々しく運命を受け入れる

運命が
見せてくれる風景は

この世のものとは
思えないほど美しく

そして
非情で
残酷に見える。

映画『風立ちぬ』
やっと見ました^^

宮﨑駿監督
最後の長編アニメ
ということで
本当に作りたかった映画を
作ったんだなぁと思いました。

大人のための作品でした。

自分に正直に生きる

それは
時に
残酷に見えますよね。

でも
だからこそ
清々しい気持ちになれる。

雑味のない
悲しさというか

事実を
ただ事実として受け入れる

感じたものを
ただ感じたように受け入れる。

周りの期待に応えて
大袈裟に
ポーズしないというか。

変な風に変換して
周りの人に
影響を与えようとするよりも

全て
自分で
受け止めて
変な処理をせず
そのままに自然なままに任せる。

それが
本当に
清々しい感じがしました。

堀越二郎は
半分
夢の世界に生きていたんですね。

夢から
様々な着想を得ていた。

ある意味
チャネリングしていたんですよね。

でも
それだけでは
夢の中だけというか
ただ理想だけというか

極端に言うと
一瞬でも
美しく飛べれば
それでいいという飛行機を作りかねない。

そんな
二郎を
現実に繋ぎ止めてくれていたのが
菜穂子の存在だったのかもしれません。

一見すると
菜穂子の存在って
一体
何なのだろうと思ってしまいます。

結核を患い
ほとんど寝たきりです。

ある意味
二郎にとっては
足手まといなわけです。

しかし
やはり
菜穂子が
そこに居なくてはならない
気がするんですね。

たぶん
二郎にとって
夢と現実との
バランスを取るためには
欠かせない
存在だったのだと思います。

強烈に
夢の世界に
惹かれる二郎にとって
同じくらい
強烈に
現実世界に引き戻してくれる
菜穂子という存在。

夢の飛行機を
この世界に
理想の飛行機として生み出すためには

夢と現実との間で
バランスを取る必要があったんですね。

菜穂子にしか
二郎を
この現実世界に留まらせて
素晴らしい飛行機を
作らせることは出来なかったんですよね。

本当に
あの時代に
二郎や菜穂子のような人達が
いたのかどうかは分かりません。

でも
どんな時代であっても
清々しく生きることは可能なんだと
思わせてくれる作品でした。

清々しく
自分の人生を受け入れる。

それは
決して
楽なことでありません。

それでも
ありのままを認め
最後の最後まで美学にこだわる。

最後に
菜穂子は
二郎から
夢を引き受けます。

そして
二郎は
今度こそ
自分一人で
夢と現実の間を生きていくんですね。

ここまで
読んでいただき
ありがとうございます。

是非読んだ感想をお問い合わせにてお送りください。


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